Archives pour la catégorie Cooking

Peter Orlando

« In the mood for » is a page to relax. 

This page is dedicated to all who love french mid-century ceramics.

サリュ。ぼくの名前はチリ。
パリ4区、マレー地区のチュレンヌ通りに住んでいるんだ。
家のマスターの名はマタ。彼は作家。作家というと幅広い表現だね。ミアウ。
彼は絵を描いたり、音楽を作曲したり、詩を書いたり。。。くだらないモノについて永遠考えたり。。。
彼はぼくと共通点があるんだ。それはサロンのカーペットでボケーとすること。
家にはいつもいろんな人が出入りしている。哲学者だったり、音楽家だったり、ライターだったり。。。そして可愛い女の子もよくここに来る。
マスターには悪友がいて、ぼくは彼女をマダムって呼んでいるんだけど、このマダム、いつもぼくを無視するんだよね。他のみんなは。。。ゴロゴロ。。。なでてくれるのに。
そのマダムの欠点、それは新しいモノを発見する度にここに来て、悪友のマタに見せること。
モノと言っても、彼女がコレクションしているのはフランスの50年代のセラミックなんだ。
マスターとマダムは定期的に彼女の新しい発見を目の前にして永遠に会話をする。
そうこうしていく内にぼくもセラミックの専門家になってしまったって訳。
ミアウ。

きょう、マダムが持ってきたのはオルランドの作品。

ああ、なんとも言えない気持ちの良い触感。

ピー ター・オルランドはアメリカ出身の男。1944年に兵士としてオハマ・ビーチに到着し、その翌年、フランス娘と結婚をしたんだ。1946年にアメリカに戻 り、その2年後にフランスに帰ってきてパリの美術大学に入学。そして1952年よりパリでセラミックに集中するためにアトリエを設け、モダンでアブストラ クトなフォルムを生み出す。パリジェンヌのワイフ、ドゥニーズは彼のセラミックの柄を描く。ピーターは平行に具象派の絵画を描き、画家としても活躍するん だ。1958年に初の個展をパリで行なう。画家としての活動に集中し、1968年にセラミックの制作を減らしていく。

ドニーズの柄(絵)、いいでしょ?

ぼく、オルランドのセラミック、好きなんだ。
触れると暖かい感覚があるんだ。気持ちのよい丸みのある触覚。オーガニックでピュアなフォルムがいいよね。
そして画家ミロを思わせるドゥニーズの柄もすごく好き。

Jacques & Danièle Ruelland

おやおや、この二つの玉はなんだろうか?
イームズの椅子の上で日向ぼっこをしてシエスタ(お昼寝)に取り掛かろうと思っていたのに。なにさ、マダムったら、ぼくの邪魔なんかして。。。

ほほう、これはこれはジャック&ダニー・リュエランの作品ね。

上から見ても、下から見ても美しい。
ジャッ クもダニーも1926年生まれ。彼は2008年に亡くなったんだ。彼はパリのボザール美大で絵を学び、1951年にダニエルと結婚。二人は同じ美大でセラ ミックに集中する。彼らのインスピレーションソースは周りのアーティストから来るんだ。セラミックとは縁のないダンスや演劇、文学、音楽に刺激される。ま た当時の建築家、プイヨンやル・コルビュジエとの友情も彼らを刺激する。
ジャックとダニエルは1953年から1959年までエキスペリメンテーションに集中し、1960年から1969年まで発展する。1970年にパリを去って南仏に移り、1980年代後半まで活躍する。

このように彼らの作品のほとんどは1つ単位ではなく、複数のシリーズとして、ファミリーとして発表される。

ジャックは素材のリサーチ、ダニエルはフォルムのリサーチに集中する。
白、黒以外にアニスや黄色、オレンジの鮮やかな色で有名。
手でフォルムを作り出し、左右の微妙なアシメトリーが大好きだね。花瓶や照明のベースの瓶をメインに作ったリュエラン夫妻のミニマルな視点が気に入っている。

Georges Jouve

ミアウ。きれいなフォルムだなあ。

絵になってるぅ?

 ジョ ルジュ・ジューヴは1910年にパリで生まれた人なんだ。パリの芸術学校、ブールでアートを学び、戦後、パリでアトリエを構えたんだ。彼の作品は芸術だと 思う。うん。どの作品も、彫刻のように、作家性が素晴らしい。とてもミニマルなんだけど、究極に美しい。ジューヴは50,60年代のフランスの偉大なセラ ミストとして認められているんだよ。コレクターも少なくない。

ジューヴの陶器はいつまでもなででいたいほどに、なめらかなんだよ。いつか、彼の作品と出会ったら、触ってみて。

Gilbert Valentin

今日はジルベール・ヴァランタンのお話をしよう。ミアウ。

1928-2001。 鉄職人一家に生まれ、1946年にディユルフィットの街で陶芸界と出会い、美術大学で陶芸を専門に学んだ人なんだ。1950年に南仏ヴァロリスの街に移 り、妻と一緒にアルカンジュというユニット名で活躍を始めた。1950年からセラミックに集中し、オーガニックなフォルムの個性的な作品を生み出した人。 ジャン・コクトーと一緒にコラボレーション作品も手がけたよ。あ、ころがして遊んじゃった。マダムにおこられそう。

青とグレーの部分はね、ぼくの舌みたいなんだよ。ちょっぴりがさがさしているんだ。

Roger Capron

カプロンは1922年生まれのフランス人。陶芸の町、南仏ヴァロリスの街で独特の陶器を生み出した巨匠なんだよ。1948年から活躍し、動物にインスパイアされたモチーフやフォルムを提案し、またモノクロームのピュアな陶器も美しい。

こちらは1956年の作品。耳の器という名前なんだ。

これも典型的なカプロンの作品。

Cloutier

ん?

う ん。きょうはクルティエ兄弟のお話をしよう。1930年生まれの双子の兄弟、ジャンとロベール・クルティエはぼくの大好きなジョルジュ・ジューヴ、そして ポール・シャンボストのアトリエで研修を経て、1955年に パリで独自のアトリエを構えたんだ。彼らの作風では“クリティエ・ルージュ”と呼ばれる紅色をポイントとして起用することで知られる。ほら、この作品の内 側の紅色、綺麗でしょ?へんてこりんな顔のモチーフもとても50’でいいよね。彼らはテーブルウエアの商品を 多く手がけ、軽々しいチャーミングな花瓶から、ここにあるよりコレクターズ・アイテムの彫刻的な作品を生み出したんだよ。1960年代からインテリア・デ ザインの研究もはじ め、特殊な壁を作ったんだ。1977年からパリを去って地方で活動した。ミアウ。

Jacques Blin

ミアウ。今日はジャック・ブランの話をしよう。うちのマダムはブランの特殊なスタイルを好むんだ。ブランと言えば、緑系のセラミックに絵やモチーフを描くパターンが一般的にコレクターの間では知られているんだけど、ここで紹介するマダムのお気に入りは彫刻的な陶器。

1920年生まれのブランは飛行エンジニアリングの勉強をし、その業界でデッサンの専門として働いた後に芸術に興味を持ち始め、1948年からセラミックにひかれ、集中していく。

フ ランスのセラミックを応援する人物であり、仏陶器協会の代表者として20年以上活躍したんだ。ジュネーヴのインターナショナル・セラミック・アカデミーの 副会長でもあった彼は1995年に亡くなった。フランスの誇るセラミストだよ。彼が50年代に生み出した作品はとても美しい。

Kostanda

 

い い天気だなぁ。コスタンダ、知ってる?1921年生まれのアレクサンドル・コスタンダはポーランド出身。1936年から2年間南仏ヴァロリスにあるルイ・ ジロのアトリエでセラミックのデコレーションを学び、戦中セラミックの先生として活動をしたんだよ。1946年にクルニーの街でアトリエを構え、アコレー などの講師となったんだ。1949年にヴァロリスに戻り、ルイ・ジロのアトリエの主任となり、1953年に自分のアトリエを構えた。彼はヴァロリスの陶器 のアピールのために働き、ヴァロリスのセラミック・ビエンナーレの主催者としても幅広く活躍した人なんだ。彼は馬や花のモチーフも描いたんだけれども、僕 はアブストラクトなモチーフのほうが好き!

Robert Picault

Robert Picault

きょうはロベール・ピコ(1919-2000)のお話をしよう。
同世代のセラミスト、ロジェ・カプロンとジャン・デルヴァルと同じ美大を卒業し、南仏ヴァロリスで活動した人物。3人で“カリス”というアトリエを構え、ヴァロリスの陶器にモダニズムを与えた。当時ジューヴもこのアトリエに通ったんだよ。
1960年代に独特の作風を打ち出し、芸術的な作品からよりプピュラーなテーブルウエアを多く生み出した。



Mado Jolain

ボンジュール。きょうはマド・ジョランの話をしよう。
1921年生まれの彼女はパリのアールデコ装飾学校に入り、その個性的な陶器で話題になり、オートクチュール界のためにアクセサリーを制作しはじめたんだ。

ミアウ。

1948年に旦那であり画家であるルネ・ルグランと一緒にパリでアトリエを構え、50年代、60年代あたりから、画廊で個展を開くようになる。

2000年にパトリック・ファヴァルダンの画廊、ア・ルブールで素晴らしい個展が開催され、新世代の間で大勢のセラミック・ファンが彼女の作品、そして才能を発見した。

彼女のフェミニンなやさしい色合いが、僕は好きなんだ。